ディズニー編⑦

ラマになった王様の巻✨

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ディズニーアニメーション映画「ラマになった王様

2000年制作

DVDカバーより引用

 

「南米のジャングル奥深くにある国で、クスコという18歳になる王様がいました。彼は富と権力と美貌は持っていましたが、傲慢で超性格の悪い嫌な奴であったため、国民からは全く信用されていませんでした。ある日、気まぐれで解雇した、かつての相談役の魔法使いイズマに毒薬を飲まされ、ラマの姿に変えられてしまいます。クスコはそのまま袋詰めにされ、荷車に乗せられて、ある農村に運ばれます。それは、そこに住んでいる農民たちを強制的に立ち退かせてまで、クスコリゾートを建設しようと王自らが選んだ村でした。城から追い出された彼を救ったのは、その農村に住む貧しい農夫のパチャでした。ラマになっても王様気取りのクスコでしたが、人間に戻るためにパチャと旅をする道中で、人と信じ合うことの大切さを学んでいきます」

 

アンデス山脈は、南アメリカ大陸の太平洋側に沿って、大陸の北端から南端まで伸びています。全長7500キロメートル。ベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチンの7カ国にまたがり、連続した山並みでは、地球上で最も長い山脈です。南北に長いので、赤道に近い北アンデスでは、とても陽射しが強く、南極に近い南アンデスは、氷河があるほど寒くなります。

ペルーからボリビアにかけての中央アンデスには、アマゾン川の源流があります。この川は、アンデス山脈の森から6500キロメートルも東に流れて、大西洋にそそぎます。

 

アンデス山脈には、何千年も前から、様々な民族が暮らしていましたが、高い山々にはばまれているため、互いに交流を持つのは難しく、多くが、ほとんど孤立した環境の中で、言葉も習慣も違っていました。15世紀に、それらの民族を統一して、一つの国にしたのが当時、中央アンデスに住んでいたインカ族です。インカ族は、現在のペルーのクスコ周辺に、小さな王国を築いていました。

1438年、王に即位したパチャクティは、周りの国々に軍隊を送り、アンデス山脈に住む民族を、次々に征服していきました。その後、パチャクティの息子や孫の代になってからも、インカは領土を広げ、80もの民族を支配下におさめ、現在のコロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチンにまたがる、南北4000キロメートルにもおよぶ大帝国を築きました。

 

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「マチュ・ピチュ」は、インカの言葉で「老いた山」という意味の、標高2430メートルの山です。「マチュ・ピチュ」の後方右側にそびえる大きな峰が「ワイナ・ピチュ(若い山)」で、「マチュ・ピチュ」より約300メートル高く、標高は2720メートルです。

インカには文字の記録がないので、ここに住んでいた人々が、この町を何と呼んでいたのか分かっていません。「マチュ・ピチュ」というのは、近くの山の名前に過ぎません。

 

「マチュ・ピチュ」は、かつては、滅亡したインカ帝国の都市だと考えられていました。

 

「マチュ・ピチュ」は、スペイン人がインカ帝国を征服する前に栄えたようですが、スペイン人がやって来た頃には既に、住む人もなく見捨てられた町であったようです。山の下の集落からは、樹木の茂みにさえぎられて急斜面の上に何があるのか見えず、山に登ると突然現れるので、 「空中都市」または「天空の都」とも呼ばれます。「マチュ・ピチュ」のことは、スペイン人の征服者たち(コンキスタドレス)が残したどの記録にも出てきません。征服者たちが、この町の存在を知らず見過ごしたため、破壊を免れ、ほとんど完全な姿のままで、今日、私たちが見ることができるのは幸運でした。

 

1912年に、アメリカの歴史学者ハイラム・ビンガム教授が、忘れ去られたこの町を再発見しました。多くの歴史学者は、小説からドラマや映画にもなった物語の主人公、架空の考古学者になぞらえて、ビンガム教授のことを、「本当にいたインディ・ジョーンズ」と呼びました。

 

建築物の配置から、人々には階級制度が敷かれ、その社会構造は、大きく3つに分かれていたと考えられています。

中央広場をはさんで、西には宮殿や神殿(別名「太陽の神殿」と呼ばれる塔内にある聖なる一枚岩に刻まれたくぼみに、冬至の朝だけ窓から差し込む光が重なり、その日に儀式が行われたと考えられています)、神官の館が並ぶ区域、東には、貴族や職人が住む区域、そして、広場の南側には、畑や貯蔵庫、家畜小屋などの農業区域がありました。

 

「マチュ・ピチュ」の建物の石組みを見ることで、それを建てた人たちが、優れた技術を持つ立派な石工(いしく)であったことが分かります。近くで取れる花崗岩御影石(みかげいし)が石の道具(隕石が使われることもありました)で計算したように正確に切り出され、 石の表面に、砂と水で磨きをかけて仕上げられました。その上で、隙間なく積み上げられ、ナイフを差し入れるすきもないほど、接合部分をピッタリと組み合わせて、城壁が築かれました。これは、現在でも、大変難しい技術です。

 

ペルーは日本と同じく地震が多い国です。マチュピチュの下にも、2本の活断層が通っているそうです。 後の時代に、クスコやペルーの首都リマに造られたヨーロッパ風の建物は壊れたのに、これらの石建築は、度重なる地震の強襲にも耐えてきました。このような建て方でなければ、とっくの昔に崩落していたかもしれません。

 

物の運搬や情報を伝えるために、全長3万キロメートルのインカ道を整備したことで有名な道路網は、舗装もあり、道幅も7、5メートルありましたが、乗り物ではなく、走る人間のためのものでした。インカ人は車輪を使いませんでした。車輪も牛車も持たない人々が、700メートルも下のウルバンバ川からラマの背中に岩を乗せて運び、傾斜がきつい南側の斜面に、わずか3、5メートルの間隔で高さ5メートルの壁を築きました。ここで農業ができるようにするために、最初にじゃり、それから、ウルバンガ渓谷から良質な土が運び込まれ、水路を巡らして、アンデネスと呼ばれる、階段上の段々畑を作りました。そこでは、トウモロコシやジャガイモが栽培されていました。

 

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Y!きっず図鑑  より引用

アンデスの人々は昔から、荷物を運ぶのにラマを利用してきました。ラマの毛は織物にして、衣類にしました。ラマの毛織物は暖かく、高地の厳しい気候をしのぐのに最適です。

さらに、ラマのフンは、火を燃やすための貴重な燃料になりました。ラマはアンデスの人々の暮らしには欠かせない動物てす。空にはラマの星座があり、「お母さんラマと赤ちゃんラマの星座が地上のラマたちを天から見守っている」と語り伝えられています。また、かつては、ラマも人間の言葉を話したという伝説もあります。 

 

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Andean Condor/ Condor des Andes/ Vultur gryphus   より引用

インカの人々にとって、ラマと同じくらい馴染み深いのがコンドルです。コンドルは、アンデス山脈の高地に住む巨大な鳥です。くちばしから尾の先までは1、2メートル。翼を広げたときの長さは3、3メートル、体重は10〜15キログラムあり、空を飛ぶ鳥では世界最大です。体や翼は黒っぽい羽毛でおおわれていますが、頭には羽毛がなく、首の周りには、マフラーのように白い羽毛が生えています。

重い体で空を飛ぶには、エネルギーが必要です。そこで、コンドルは、あまり羽ばたかず、気流に乗って移動する飛び方で、エネルギーを節約しています。そのため、コンドルの翼は、気流に乗りやすいように幅が広いのです。

インカ帝国では、コンドルは太陽神の使者とされていました。地方によっては、コンドルの血を確実な若返り薬としているところもあり、コンドルを見ると幸運が訪れる、あるいは、不幸に見舞われると信じている地方もありました。

 

中学生の時、音楽の教科書に載っていた「コンドルは飛んでいく」の曲が大好きでした。リコーダーで上手く吹けるよう、一生懸命練習したのを覚えています。

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 Andean Condor/ Condor des Andes/ Vultur gryphus Birds of the World     より引用

 

インカ人は、文字を使わなかったことで有名です。彼らほど様々な面で知的に傑出した民族が読み書きと無関係であったのは矛盾した感じがします。

インカ人は、自分たちが征服した土地に次々と学校を作りましたが、どんなに教育が普及しても、教材といえば、キープといわれる、長い紐に結び目をつけて、十進法で数を記録したり、人口や税金などを記録するものでした。

インカでは、文字を知れば、疫病、迷信、邪悪の元になると固く信じられていました。インカ文明以前の人々が使っていた文字を使うことも禁じられました。禁を犯せば死刑になりました。この掟は固く守られ、文字を新たに考案したある学者は、生きたまま火に投じられました。

 

1532年、スペイン人のピサロは3隻の船に180人の兵士を乗せて、パナマから太平洋を南に進んで、ペルーの地に上陸しました。彼らはインカの皇帝アタワルパの率いる4万人の大軍と戦い、アタワルパを捕えました。インカの大軍を混乱に陥れたのは、初めて見る騎馬兵と鉄砲の威力でした。馬はアメリカ大陸では絶滅していたため、ヨーロッパ人が持ち込むまで見たことはありませんでした。インカ人の武器は石器と青銅器のみで、鉄器すら使用しておらず、大砲等の火器を見るのも初めてでした。

幽閉されたアタウワルパは、 彼が幽閉されていた大部屋1杯分の金と2杯分の銀を与えるから釈放してほしいとピサロに申し出ました。皇帝の命令で全国から金銀細工が次々と運ばれて、部屋を満たしました。

「インカ」は、「太陽の息子」という意味で、「皇帝」を指す称号でした。インカの最初の皇帝は太陽神インティによって地上へ送られた太陽神の子孫と伝えられています。インカの人々にとって、太陽は父であり、同時に神そのものを象徴していました。その太陽の息子と信じられた皇帝の命を助けるために、インカの人々は必死の思いで金銀を運びましたが、スペイン人は片っ端から融かして金銀の延べ棒にしたうえで、約束を破って皇帝を殺害しました。

 

ピサロのその後ですが、インカを征服したわずか4年後に、母国スペイン国王カルロス1世から、アタワルパを無実の罪で処刑したとして、死刑に処されました。

 

高原地帯には、木のない所が多く、昼は太陽に焼き尽くされ、夜は厳しい寒さが訪れます。生活するのに困難なこのインカの地から黄金が奪い去られてしまうと、スペイン人にとって価値のあるものはなくなり、1911年に、ビンガム教授によって再発見されるまで、忘れ去られていました。

 

 

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ディズニーアニメーション映画「ラマになった王様」で、貧しい農民パチャたちが住む右側の山は、「ワイナ・ピチュ(若い山)」、人間の姿に戻ったクスコが「クスコリゾート」をつくった左隣の小さな山は、「マチュ・ピチュ」のようです。

 

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ディズニーアニメーション映画「ラマになった王様

2000年制作

パンフレットより引用

 

ラマになった王様」は、近年のディズニー作品としては珍しく、ミュージカルではなくセリフやキャラクターの動き、ギャグで雰囲気を盛り上げる、ノンストップコメディになっています。なかでも、推定200歳とも言われる魔女イズマの相棒のクロンクの、味のあるおとぼけ振りが好きでした。

インカ帝国風ですが、実験室にある劇薬のラベルに絵文字が使用されていたり、実験室に行くのに、DLのアトラクションに搭乗する前に説明する音声が流れる等、時代考証はほぼ無視されています。

 

参考資料

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インカ帝国天空の都 マジックツリーハウス48」

メアリー・ポープ・オズボーン 著

食野雅子 訳

株式会社 KADOKAWA  発行

 

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世界遺産 考古学ミステリー マチュ・ピチュのひみつ インカ帝国の失われた都市」

スザンヌ・ガーブ 著

リンダ・オルソン 指導

六耀社編集部 編訳

株式会社六耀社 発行

 

 

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