ディズニー編⑧

王様の剣の巻✨

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ディズニーアニメーション映画「王様の剣

1963年制作

DVDカバーより引用

 

遠い昔。大勢の勇猛な騎士達がしのぎを削り合っていたイングランドでは、時の国王ユーサー・ペンドラゴンが世継ぎを残さずに亡くなった事で、次の王の座を巡る戦乱が各地で始まり、国は乱れました。そんな中、ロンドンの街に石台に刺さった一本の剣が出現し、剣のつかには金色の文字で、『この剣を石台から引き抜いた者こそ、全イングランドの真(まこと)の国王である』と書かれていました。乱れきった国を正してくれる新たな王が現れる奇跡を人々が願うなか、大勢の力自慢が剣を引き抜こうとしましたが、王様の剣はびくともしませんでした。

奇跡は起こらなかったのです。

こうして、イギリスには、王のいない日々が続き、この剣のことも忘れ去られていきました。

イギリスのとある地方領主 エクター卿の城ではワートという少年が働いていました。 ある日、エクター卿の息子ケイと狩りに出かけ矢をなくしてしまったワートは、一人で森の中に探しに行き、そこで魔法使いマーリンと出会います。未来を見通す力を持つマーリンは、ワートが将来、大物になる事を予見し、彼に魔法の訓練をつける事を決心し、ワートを大成させるべく不思議な特訓を課していきます。

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ディズニーアニメーション映画「王様の剣

1963年制作

パンレットより引用

 

王様の剣」の元となったアーサー王物語は、ケルト神話、特にウェールズの伝承を元に作られています。

ケルト人は、ギリシア語「ケルトイ」に由来しています。この言葉は、紀元前5世紀の「歴史の父」ヘロドトスによれば、イストロス川(現ドナウ川)上流に住む人々のことでしたが、多くの場合、近代的な意味での民族ではなく、ギリシアから見て西方、すなわち中央ヨーロッパから西ヨーロッパの人々を漠然と指していたようです。

古代ローマでは「未知の人」を意味し、やはり、もともとは民族を示す言葉ではなかったようです。

 

ブリテン諸島には、太古の昔から人が住んでおり、紀元前2200年頃〜1900年頃には、そこにビーカ人と呼ばれる戦士らが加わって、今も残る巨石記念物(ストーンヘンジ)を残したことで知られています。

青銅器時代の末期、前7世紀になると、大陸からケルト人が渡来しました。この時代にブリテン島にやって来た古いケルト人は「ブリトン人」と呼ばれます。

続く鉄器時代には戦争が頻発し、そのため多くの丘上要塞(きゅうじょうようさい)が作られました。住民の大半は農民でしたが、美しい工芸品を作る職人もいました。

紀元前55年〜54年、ローマのカエサルブリテン島に遠征し、ケルト人を征服しますが、急遽、属州ガリア(現フランス)に戻る必要が生じ、ローマ軍は年貢を納めることを条件に引き上げました。しかし、紀元後43年、クラウディウス帝の時に、ローマ軍は再び、南東イングランドに上陸し、ケルト人を戦で破りました。ローマ人は、ロンドン、ヨーク、バース、エクセター、リンカン、レスター、グロスター、マンチェスター等、現在も残る都市の基礎を作りました。道路を建設し、法律を導入したのもローマ人でした。

122〜123年、ハドリアヌス帝が、ローマ人の支配の及ぶ所と及ばない所の境、すなわち現在のイングランドスコットランドの間に長城を築きました(ハドリアヌスの長城)しかし、3世紀半ばになるとローマは衰退し、ブリテン島の支配もおろそかになります。

4世紀後半に、スコットランドからピクト人とスコット人が南進し、大陸からはサクソン人たちも侵入しました。ゲルマン人ガリアに侵入すると、新たに軍を派遣する余裕などない西ローマ皇帝ホノリウスは、410年、ブリテン諸都市に自主防衛することを命じ、ブリタニアの支配を放棄し、ローマ軍団を大陸に引き上げました。事実上、ブリテン島におけるローマの支配は終わりました。ローマが撤退すると、ブリトン人は、ピクト人の攻勢に直面しました。慌てたブリトン人は、ゲルマンのアングロサクソン人に自分たちを守ってもらうように頼んだと「アングロサクソン年代記」に書いてあります。

アングロサクソン年代記」には、449年、アングロサクソン戦士が三隻の船でブリテン島にやって来たと記しています。5世紀半ば、続々とブリテン島にやって来たアングロサクソン人たちは、はじめのうちこそ、ブリトン人との約束通りピクト人を打ち破りますが、やがて一転、反旗を翻し、ブリトン人への猛烈な攻撃を開始します。圧倒的な攻勢の前にブリトン人は押され続け、どんどん土地を奪われていきました。そんな中、ブリトン人は、アーサー王の原型と考えられた軍事指揮官アンブロシウス・アウレリアヌスに率いられ、形勢を挽回した時期もありました。けれども、結局は力を盛り返したアングロサクソン人に屈する形になっていきました。

ブリトン人から力ずくで奪い取ったブリテン島のイングランドと呼ばれる地域には、アングロサクソン人の半国家的な自立勢力が次々と現れました。それらは、6世紀後半に、大きく七つの王国へと統合されていきます。すなわち、ケント、イーストアングリアノーサンブリアマーシアエセックスサセックスウェセックスアングロサクソン七王国ヘプターキー)は、こうして成立しました。

アングロサクソン人がイングランドを支配するようになると、一部のブリトン人は、ブリテン島からフランスのブルターニュ半島へ渡りました。こうして中世には、ケルト人の勢力はアイルランドスコットランドマン島( スコットランド北アイルランドに挟まれたアイリッシュ海の中央に位置する島)、ウェールズコーンウォールイングランド南西端)、ブルターニュとなりました。

 

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アカルパ's  portfolio 5分でわかるイギリスの歴史

より引用

 

現在の「イギリス」という国は、正式名称を「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」と言い、イングランドウェールズスコットランド北アイルランドという歴史的・民族的に成立事情の異なる4つの「国」でできています。

 

 

アーサー王が実在したかについては、現在でも歴史家が議論を続けており、結論は出ていません。アーサー王の歴史性を証明する、信頼できる初期の資料が非常に乏しいためです。現在親しまれているアーサー王の物語を創り出したのは、1130年に「ブリタニア列王史」を書いたジェフリー・オブ・モンマスです。それによると、アーサー王は5〜6世紀のブリテンの王であったとされます。彼は石に突き立てられていた、王者のみが引き抜けるという剣を引き抜いて、亡父の後を継いで、わずか15歳で王となります。やがてアーサーは、湖の中央で乙女の手が剣を捧げ持っているのに出会います。これが名剣エクスカリバーです。その後、彼はキャメロットの宮廷を中心に、グィネヴィアを妻とし、魔術師で相談役のマーリンをはじめ、ケイ、ランスロット、サー・ガウェイン、トリストラム、パーシヴァル、ガラハド、ベディヴァら名だたる円卓の騎士を従えて繁栄を誇りましたが、晩年には甥(または不義の子)のモルドレッドが反旗を翻しました。アーサー王は戦いでモルドレッドと刺し違えて瀕死の傷を負います。アーサーはただ一人付き従っていたベディヴァに命じて、エクスカリバーを湖に投げ込ませます。ベディヴァは剣を惜しみ、投げ入れたと二度も嘘をつきますが、三度目にはとうとう本当に投げ込みます。すると、水中から手が出て剣を受け取って消え去りました。そして、瀕死の王は、謎の女たちの乗る船に乗せられて、アヴァロンの島に連れられて行きました。女たちの一人は、マーリンの愛人で女魔術師である「湖の女王」ヴィヴィアンヌでした。そしてもう一人は、アーサー王の妹の妖精モルガン・ル・フェであったともいいます。アーサーは、この時死んだのではなく、アヴァロンに身を隠しただけで、ブリテンが危機の時には再び現れて支配する、とする伝承もあります。

 

アーサー王の物語には、様々に魅力的な騎士が集まって友愛に結ばれ、あるいはライバル意識に燃えながら活躍します。アーサー王伝説は、ケルトの超自然世界の冒険に宮廷風恋愛が交錯しながら、物語が展開していきますが、時代が下るにつれて、そこに、キリスト教的な要素が一段と色濃く浸透していくことになります。

西洋中世社会の花形である騎士は、キリスト教抜きには考えられません。馬に乗って戦う戦士であるだけでは、騎士の名に値しません。騎士は、戦場においては人馬一体となって主君と祖国のために勇猛果敢に戦い、宮廷では風雅を心得た趣味人として、貴婦人に心を込めて尽くすのは当然ですが、それに加えて、教会とキリスト教の防護にも励みました。まさに、憧憬すべき、理想の男性像でした。

 

アーサー王の物語は、その配下の12人の円卓の騎士たちの物語とともに語り継がれました。アーサーは正義を行い、名誉を重んじて国を治め、円卓の騎士はその徳を守ることを求められました。アーサーの食卓は丸く、誰もが平等な扱いで座れるようになっていました。アーサーは次第に理想のキリスト教的君主として描かれるようになっていきます。このアーサー王の物語によって、西洋の騎士たちが、ますます威光を高めたことは間違いありません。

 

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アカデミア世界史

浜島書店 発行

より引用

 

特異かつ強力なキリスト教文化がローマからヨーロッパに入ってくることによって、ヨーロッパの文化は発達し、そこから生まれた科学や技術の強さもあって、世界中がヨーロッパの近代から発生した考え方に大きく左右されています。私たち現代人は、知らず知らずのうちに、キリスト教が生み出してきた文化を規範として思考しているのかもしれません。

ケルト」は民族を指す言葉ではなかったということは既に述べました。上にある「アカデミア世界史  2ケルト人の歴史」の図にもあるように、キリスト教が進出してくる以前、東は現在のポーランドから、西は現在のアイルランド島までのヨーロッパの広範囲にケルト人は居住していました。ケルト人とは、輪廻転生や霊魂の不滅など、独特の死生観を持ち、ゲルマン人のようにキリスト教には帰依しなかった民族の総称であるという考え方もあります。

現在は、ブリテン諸島アイルランドスコットランドウェールズコーンウォールコーンウォールから移住したブルターニュブルトン人等に、ケルト語族の言語が現存しています。

実際は、それ以外の国や地域に住むヨーロッパの人たちも、その背後にケルト的な要素を持っていると考えられます。ケルト文化を知ることは、ヨーロッパの歴史と文化を考えるうえで、不可欠な要素と言えます。

ローマ帝国以前、一つのまとまった国家というものを作らなかったにもかかわらず、ケルト人としての文化的アイデンティティを共有しながら、いくつもの独立した部族集団としてヨーロッパに勢力範囲を拡大していったケルト人の在り方は、現在、EUとしての統合を進めているヨーロッパ各国のモデルとなっているように見えます。ケルト文化をEUの基層文化とする意識も高まってきています。

この二十年以上、欧米各国、そして日本でも、いわゆる「ケルト・ブーム」という現象が見られるのは、神話学、民俗学、考古学、言語学といった学術分野に限らず、エンヤに代表されるケルト音楽や映画、演劇や「ケルズの書」等のケルト美術といった芸術においても例外ではありません。妖精物語やアニメやゲームに登場するケルト神話由来のキャラクター抜きに、現代の若者文化は語れないと言っても過言ではありません。

 

王様の剣」で、マーリンの魔法で、リスや魚になって、ワートが自然界で生きる困難さを学んだり、マーリンがライバルの魔女であるマダム・ミムーと魔法対決をして、最後は細菌になったマーリンがマダム・ミムーの体内に入り、発病させて降参させるというのが面白かったです。

夢と魔法の王国ディズニーとケルトの妖精の要素がタイアップすることで、より一層ファンタジーでマジカルな作品になっていると思います。

 

劇団四季のミュージカル「美女と野獣」の中で、野獣の城に囚われているベルが、文字の読めない野獣に、本を読み聞かせてあげるシーンがあります。結末まで読み終わった時、野獣が「なんて美しい、素晴らしい物語なんだ!本がこんなに面白いなんて!」と感動したのは、「アーサー王物語」でした。

 

 

参考資料

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「図説 ケルトの歴史 文化・美術・神話をよむ」

鶴岡真弓・松村一男 著

河出書房新社 発行

 

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「図説 騎士の世界」

池上俊一 著

河出書房新社 発行

 

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「世界の神話と伝説 神々と英雄」

監修 大泉太良

訳 槙朝子

文 ニール・フィリップ

絵 ニーレス・ミッストレ

発行 小学館

 

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アーサー王 その歴史と伝説」

リチャード・バーバー 著

高宮利行 訳

東京書籍 発行

 

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「戦国ブリテン アングロサクソン七王国の王たち」

桜井俊彰 著

集英社 発行

 

 

「ディズニー編」は、これが最終になります。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。次の「宝塚歌劇団編」も読んでいただけますと幸甚です。

 

次は、「エルアルコンー鷹」