ポカホンタスの巻✨
ディズニーアニメーション映画「ポカホンタス」
1995年制作
DVDカバーより引用
「ネイティブアメリカン、パウアタン(ポーハタン)族の首長の娘、ポカホンタスは、旺盛な好奇心と自分の未来は自分の手でつかもうと考える意思の強さを持ち、大いなる精霊と共に大自然の中を自由に駆け回る女性です。そんな彼女の前に現れたのは、一攫千金を夢見るイギリス人探検家たちでした。その中のキャプテン・ジョン・スミスとポカホンタスは出会った瞬間から心を通わせ、惹かれあっていくのですが、新大陸征服の野望を抱く、彼らイギリス人開拓者とパウアタン族の対立は激化し、一触即発の状態になります」
ポカホンタスの実名の「マトアカ」は、「雪のような真っ白な羽毛」という意味です。「ポカホンタス」はニックネームで「小さないたずらっ子」という意味です。なぜ名前が2つあるかというと、彼らにとって実名はごく身近な近親者だけが呼ぶべき大切なものだったからです。実名には不思議な魔力があると信じられており、その魔力がすり減ってしまわないように、ニックネームで呼んでいました。
「講談社版『ポカホンタス』の中で、ポカホンタスの父パウアタンはこう言っています。
『他人を傷つける言葉を使う者は、同時に自分自身を傷つけることになるのだ。逆に、愛に満ちた言葉を使う者は、人のこころを愛で満たし、そして、自分自身の心も愛にあふれる。喜びに満ちた言葉を使う者は、人の心を喜びで満たし、そして自分自身も喜びにあふれる』」
「ポカホンタスの秘密」
著者 「ポカホンタス」研究会
発行者 鵜野義嗣
発行所 株式会社 データハウス
より引用
これは、日本の「諱(いみな)」 「言霊(ことだま)信仰」に驚くほどよく似ています。
ディズニーアニメーション映画「ポカホンタス」
1995年
パンフレット より引用
「実在のポカホンタスは『ロミオとジュリエット』に『風と共に去りぬ』を足して、さらに『マイフェアレディ』を地で行ったようなジェットコースター・ドラマも真っ青の実に激しい波瀾万丈の人生を送った伝説のヒロインだったのだ。おまけに、アメリカを作ったといってもいい歴史的人物でもあった。彼女がいなければ、アメリカは英語の国ではなく、スペイン語かフランス語の国になってしまったかも知れないというほどの重要人物だったのである。何を隠そうアメリカが今日あるのもポカホンタスのおかげなのだ!」
ディズニーアニメーション映画「ポカホンタス」
のパンフレットに掲載されている
和栗隆史さんの文章より引用
ポカホンタスとキャプテン・ジョン・スミスの出会いは、イギリス人がアメリカ東海岸(大西洋沿岸)のパウアタン族の領土であった地に「ヴァージニア植民地」を建設した1607年のことでした。ジョン・スミスは、ヴァージニア初の入植地「ジェームズタウン」を建設しようとする、イギリスの植民請け負い会社である「ヴァージニア会社」の植民請け負い人でした。
ポカホンタスの父パウアタンは、30の部族と9000人を束ねるパウアタン部族連合の長でした。パウアタン連合は、今のヴァージニア州のおよそ5分の一ほどの広さを占めていたといわれています。
スミスたちより、十年ほど前にイギリスから入植団がこの地にやって来て、当時ヴァージン・クイーン(処女王)と呼ばれていたエリザベス一世にちなんで「ヴァージニア」と名付けられました。スミスたちが築いたジェイムス・タウンは、エリザベス一世の次の王、ジェームズ一世に由来しています。
ロビン・メイ 著
河津千代 訳
発行所 リブリオ出版
より引用
ジョン・スミスは、パウアタンの戦士に捕らえられ、パウアタンの村々を引きまわされた後、パウアタン首長の王宮に連れて行かれます。そこで、ジョン・スミスが処刑されようとした時、ポカホンタスが身を挺してスミスを救いました。
「パウアタンは、棍棒を振りかざしたまま首長の指図を待っている戦士に、そのまま振り下ろすように目配せした。その瞬間、自分の願いが受け入れられないと知ったポカホンタスは、羽を広げた白鳥のように白い羽を植え込んだマントをひるがえしスミスにかけ寄った。そして、いままさに打ち砕かれようとしていた彼の頭の上に覆いかぶさったのだ。彼女の勢いに、棍棒を下ろしかけていた戦士はかろうじてその腕を止めた。王宮がどよめいた。パウアタンはもう娘を止めることはできなかった」
「ポカホンタス」
著者 和栗隆史
発行 講談社 より引用
ポカホンタスに救われた後、大けがをしたスミスがイギリスに帰国するところで、ディズニー映画「ポカホンタス」は終わります。
でも、和栗隆史さんが言われた「ジェットコースター・ドラマも真っ青の波瀾万丈な人生」は、むしろここからでした。
それが描かれている、ディズニーアニメーション映画「ポカホンタス2」で、ポカホンタスとジョン・スミスが結ばれるかと思いきや、まさかの大どんでん返しがありました。
1613年、ポカホンタスは、敵対するパウアタン部族連合との交渉に、彼女を利用する事を考えた、ジェームズ・タウンの白人に誘拐されます。連れて行かれたジェームズ・タウンでパウアタン部族連合との交渉の材料とされる一方、野蛮なネイティブアメリカンをレディに変身させるための様々なイギリス流の教育を受けました。西洋風の服をまとい、英語を教えられ、大いなる精霊と共に生きてきた自身の考え方、信条を棄てさせられ、キリスト教に改宗させられました。
白人指導者ジョン・ロルフと出会い、結婚したのはこの頃でした。ジョン・ロルフは、ポカホンタスのアドバイスでタバコ栽培に成功し、植民地の経済的な基盤を作った人物です。
一攫千金をもくろみ、金やダイヤモンドを掘り当てようとしていた夢が徒労に終わり、悲嘆に暮れていた植民地の人々を救ったのが、ロルフのタバコ産業でした。ポカホンタスは、このロルフの農園で一子(いっし)トーマス・ロルフを生みましたが、ポカホンタスは姉たちに「トーマスはロルフの実子ではない」と説明しています。
その後、ポカホンタスは親子3人で渡英し、国王ジェームズ一世やアン王妃に謁見しました。ポカホンタスは「ネイティブアメリカンの姫」と紹介され、イギリスにセンセーションを巻き起こしました。ポカホンタスは植民地のイメージを良くし、滞りがちな本国からの投資や植民を促す、植民事業の広告塔としての役割を担うことになりました。
ヴァージニアに戻ってタバコ栽培をすることを強く望んだロルフは、ヴァージニアに戻る船旅の途中で病気になったポカホンタスがイギリスのケント州で亡くなった後、幼いトーマスをイギリスに独り残し、単身ヴァージニアに戻り、なんと2度目の再婚をしたそうです。誘拐され、故郷に戻ることもないまま、イギリスで客死したポカホンタスは、この時まだ23歳でした。こんなに早く幼い我が子を置いて逝かなければならない無念さと、我が子を顧みることのなかった夫に半ば裏切られたような形になったことが、可哀想でなりません。
ディズニーアニメーション映画「ポカホンタス」
1995年
パンフレット より引用
「一生に一度の恋をしたことがありますか」
「風の色が見えた時、二人の愛が始まった」
が、ディズニー映画「ポカホンタス」のキャッチコピーでした。この映画で「一生に一度の恋」の相手であったはずのジョン・スミスが「ポカホンタスに助けられた」と主張し始めるのは、1624年に出版された「ヴァージニア総史」での記述が最初で、ポカホンタスの死から7年も経ってからでした。
ネイティブアメリカンは文字を持たなかったので、現在ポカホンタスについて知られていることは、全て後世の文献に記録されたものを通して語られたものであり、現実のポカホンタスの考え、感情、行動の動機などは分かっていません。
ジョン・スミスと激しい恋をし、自分の部族に捕らわれて処刑されそうになったジョン・スミスを我が身を挺して救ったと語られたポカホンタスは伝説になりました。アメリカの子どもたちは何世代にもわたって、その名前を聞かされ、アメリカ人ならだれでも知っている歴史的ヒロインになりました。
17世紀から19世紀の白人たちは、開拓、布教を伴う植民事業に先住民の女性を利用し、彼女たちの従順で献身的なイメージを作り上げることで、自らの侵略行為を正当化しようとしたのではないかという見解もあります。
時代に翻弄され、白人に利用された感のあるポカホンタスですが、従順さの裏に隠された、したたかさが見て取れるのが、ポカホンタスの最も古い肖像画と言われる、1616年のサイモン・デ・パスによる、この銅版画です。
ポカホンタスが被っているのは男物の帽子で、押し付けられた女性らしさへの抵抗を示しているとも言えます。また、上流階級の女性が身につける胸の開いたドレスではなく、あえて衿の詰まった服を身につけ、半裸の先住民といった野蛮なイメージを消そうとしているという見方もあり、服装を通して独自の自己主張をしているのがうかがえます。
命を投げ出してまでスミスを救おうとしたポカホンタスの勇気にあやかろうという意図で、ポカホンタスやパウアタンの名前を船の名前にしたり、その像を船首に付けたりしたというのは興味深かったです。幕末の浦賀に現れ、鎖国していた日本に開国を迫ったペリーの「黒船」艦隊も、その旗艦の名前は「パウアタン」号でした。(サスケハナ号の準同型艦)
もう一枚紹介したいのが、この絵です。
イギリス カッセル社の「合衆国の歴史」
1874年出版
挿絵
より引用
ディズニーアニメーション映画「ポカホンタス」の映画のパンフレットより引用した、一輪の花を持ち岩に腰かけるポカホンタスの絵もそうですが、この絵で、右から2番目に描かれているパウアタン族の首長が平原インディアン(ネイティブアメリカン)のような格好をしています。多くの人がイメージする典型的なインディアンが、大平原部に住む「平原インディアン」で、馬にまたがってバッファローを追い、皮で作ったテントで生活をするというもので、代表的な部族はスー族です。羽根冠をかぶる風習があったのは、数あるインディアン部族の中で、この「平原インディアン」だけだったそうです。
「パウアタン族」は、「北東部インディアン」と「南東部インディアン」の境目の辺りに暮らしていた部族なので、羽根冠を被る風習はありませんでした。白人が「インディアン=羽根冠」という画一的なイメージを持っていたのがよく分かります。インディアンの各部族の違いに目を向けることなく、先行するイメージで一緒くたにしてしまうやり方は、最近、日本で問題になっている、織田信長に仕えたとされる黒人、弥助を巡る「ヤスケ問題」に通じるものがあるのではないかと思います。
「イギリス人たちは『邪教を信じる野蛮人をキリスト教に改宗させる』という目的を持っていた。誘拐されたポカホンタスが改宗を迫られ、そして、『レベッカ』というクリスチャン・ネームをもらったことを見てもそれがわかる。しかし、おそらくポカホンタスにとって、キリスト教の教えは理解できないものであっただろう。なぜなら、決まった曜日に決まった時間に決まった建物(教会)に行かなければ神様に会えないというのは、ポカホンタスたちの考え方とはまったく異なるものだったからだ。ポカホンタスにとって、彼女を導いてくれる『大いなる精霊』は、空にも空気にも山にも木にも花にも、どこにでも宿っているものだった。それはいつもポカホンタスと共にあるものだったからだ。
ポカホンタスは『大いなる精霊』と共に生きていた。そして彼女は自分自身がその大いなる精霊に見守られた『聖なる輪』の中の一員であると自覚していた。したがって誰にでも訪れる『死』は、けっして『滅びて消える』ことを意味しない。『死』とは、聖なる輪の中で形を変えることにほかならない。ゆえに、『死』は悲しみの対象というよりは、新たな旅立ちといった方がふさわしい。講談社版『ポカホンタス』で、ポカホンタスは死の間際に夫であるロルフにこう言っている。
泣かないでロルフ、だれもが一度は死ぬのです。
さあ、泣かないで、笑ってロルフ。
ポカホンタスはそう言って死んでいく。
スミスが書き残した記録によると、たしかに実在のポカホンタスは、『だれもが一度は死ぬのです』と言って息を引き取ったという。
その言葉に見られるように、クリスチャンとなりレベッカと名を変えていた彼女は死に臨んで、パウアタンの森で『大いなる精霊』と共に生きてきたポカホンタスとして死んでいったのである」
「ポカホンタスの秘密」
著者 「ポカホンタス」研究会
発行者 鵜野義嗣
発行所 株式会社 データハウス
より引用
ジョン・ロルフと結婚して、一緒にイギリスに行くことがなければ、ポカホンタスはもっと長く生き、幸せになることができたのではと思いましたが、この文章を読んで、少し晴れやかな気持ちになりました。
次は「アナスタシア」